いま、関心があること

毎日、世間はいったいどうなっているんだろうと思ってニュースを見るのですが欲しい情報が得られません。僕が知りたいのはコロナウイルスとはなんなのかということですが、連日の報道が政治家の話し合いや経済の動向で占められているのはコロナウイルスが何かということがまだ誰にもわからないからです。まだわからないのに話し合ってどうするか決めようとしているのですから乱暴な話だと思います。

大腸菌O157が流行った時には激しい下痢の症状があって多くの人が亡くなりましたが、下痢で毒素を排泄していた人は助かって、下痢を止めた人が中毒で亡くなっていたことを世間が知ったのはずいぶんあとになってからです。今回のコロナ禍も、発熱は下げないほうがいいのではないかと思ったりもしますが、そういった情報はでてきません。医療現場の人たちは情報発信には慎重になっているはずですが、それどころではないだろうとも思います。もっと大きな機関からの公式見解のようなものが出るのはたぶん事態が収束したあとでしょう。

だから、いま発熱や咳といった怪しい症状があって自宅で過ごしている人たちは、どうしたらいいのかがわからなくて本当に困っていると思います。連日、僕のところによせられる相談のメールや電話の多くはこのような感染以前の疑惑で不安になっている人たちからのものです。そして、生きていれば普段から普通に起こる症状さえもコロナの症状かもと結びつけて考えてしまうようになっています。

普段から、整体操法を受けに来た人たちを見ていると、腰が痛いとか胃が痛いとか頭痛だとか言っていても、その症状のもとになっているものは生活の乱れや人間関係だったということはよくあるのですが、コロナのことで起きている不調でもそれは同じです。

だから、いま、不調や不安があるひとは、この際ですから、それがどこから来ているのかを突き詰めて考えてみるといいかもしれません。生活の仕方、夫婦関係や親との確執などの人間関係、したくない仕事をして生きていないかなどといった、いままでわかっていたけど忙しくて先送りにしていたことが問題かもしれません。

自分の人生にとってのコアとなる問題をずっと先送りにしてきた理由は忙しくて考える暇がなかったからだと思います。流れに乗り遅れないようにするのに必死だったと思います。

でも、いま会社や学校を始め今まで信じてきた世間の仕組みがいろいろと止まってしまったために、このことを考え始めたひとが目に付きます。

これは、けっこう大事なことだと思うのですが。

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寄生虫と細菌とウイルスのバランス

 

「ウイルスに戦って勝つ」と唱えながら我が身の周囲に消毒薬を散布する人たちの姿を見ていると、ウイルスよりも先に人間の免疫力が参ってしまうように思えてなりません。

そもそも、「悪いものをやっつける」という発想は、近代文明の始まったヨーロッパで、森の木を切って開けた土地を作り、自然を壊すことで発展してきた文明の基本です。そうやって自然界のバランスを壊した結果、その揺り返しで起きたのがコレラやペストといった感染症の流行だったはずです。

太古の昔から人体では寄生虫と細菌とウイルスがバランスをとっていたのに、近年の衛生観念の発達で、寄生虫は完全に駆逐され、細菌は数も多様性も貧弱なものとなりました。それと入れ替わりにアレルギーが増えたことでバランスの崩れが認識できますが、それはウイルスが暴れやすい環境だということは、近年インフルエンザの症状が重篤化していることでわかると思います。

消毒しすぎてバランスを狂わせたことが招いた災いなのに、それに対しても私たちの文明はまだ消毒という攻撃手段しか対策を持っていません。生態系のバランスや調和に関しては、作り出すどころか概念さえないんだと思います。

 

先の緊急事態宣言が出たとき、ラジオで誰かが「これからは国民が一丸となってウイルスに打ち勝つまで戦いましょう」というのを聞いて思い出したのは、第二次大戦中の日本人が「国民精神総動員」の旗の下に竹槍を持たされている姿です。

「いまの消毒薬はあのときの竹槍だ」と思いながら一億総玉砕を想像しているときに友人が教えてくれたのが、朝日新聞に出ていた福岡伸一さんの「ウイルスは撲滅できない」という記事でした。そこにはウイルスとは何か、人とのそもそもの関係などが分かりやすく書かれていたのですが、それを読んだ妻が「これ、すごいよ」としきりに感心していました。何がすごいのかを聞くと「だってこの人学者なのに、ウイルスをやっつける方法とか、こうすれば解決するとかの具体的な方法や対策とかを一切書いてない。それなのに私の中に考える力が出てくるのを感じる」と言うのです。こういう誘導ができることこそが先を見通す力だと思います。

これを読んだ人の大部分が「具体的な対策は何もないじゃないか」と言うと思うのですが、それこそが考える力を養うのだと思います。

 

いま、政治家や世の中の舵を切っている人たちが希求しているものは、事態を一掃してしまうような特攻薬、じゃなかった特効薬でしょう。そういうワクチンとかが開発されれば世の中の混乱を治めてもとの状態に戻して、いままでと同じことをまだ続けられる。それを勝利と呼んでいるのでしょう。

 

僕は自然農法と整体という仕事をやってきて、畑に虫が出れば「薬を撒かないと野菜がやられちまうよ」と言うのを聞き、風邪で高熱が出れば「薬で止めないと治らない」と言っている人の体を見てきました。

でも、これらがすべて経過して落ち着いた時の様子を見ていると、何かの手を打ったから落ち着いたのではなく、そんなこととは関係のない他の大部分との調和を取り戻したから落ち着いたのだとしか思えないのです。日本でまだコロナウイルスによる死者が少ないのは、国土の大部分が森林に覆われているからかもしれません。直接関係ないと思われることから知らず知らずのうちに受けている恩恵に気がつくのは難しいことです。

 

いま起きていることは、人類がその考え方を根底から見直すことを迫られているのかもしれません。そうだとしたら、疑わしいものを片っ端からやっつけるよりも、真剣に困る方が近道かもしれません。

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ブログの始まり

これからしばらくブログのようなものを書いてみようと思います。
 
僕が今までブログを避けてきた理由は、うちがやっていることには世間の常識とは違っていることが多くて(例えば、風邪を引いたときの発熱を、冷やして下げるのではなく、温めて経過させてしまうなど)、そのため不特定多数の人が目にするインターネットで発信することで、意味がわからないのに形や方法だけを真似して、不用意に好ましくない結果をもたらす人が現れることは避けたいと思っていたからです。
そこで、伝えたいことは、講座を開いてお話ししたり、毎月「愉気便り」というお便りを書いてお送りして、整体の考え方や生命観に興味を持ってくれる人に直接お伝えするという方法をとってきました。
 
しかし、コロナウイルス拡大の影響で、いままでのような多人数でやる講座は当分できそうもありません。お便りの方も、諸々の事情があって受け取れない人が出てきました。うちの会員さんには、遠くてなかなか操法を受けには来れないけれどお便りだけをずっと読んでくれている「購読会員」とでもいうような人が少なくありません。そういう遠隔の人たちと最近は頻繁にメールのやり取りをしているのですが(みんな、不安なんですね)、日本よりもコロナウイルスの被害の大きいヨーロッパの人たちから現地の様子が聞けたり、国際郵便の止まってしまっているチェコの野中さんとでもすぐに連絡がついて、インターネットの利便性に浸っているうちに「今はブログをやる時期だな」と思うに至ったわけです。
 
それから、僕はこれまで自然農法での農業と野口整体という二つの職業に関わってきたのですが、この二つをまったく同じ考え(生命観)に基づいてやってきました。
それは、現代的な農法や近代医療とはずいぶん趣の違うものであり、僕の立ち位置からは現代的な農法と医療はまったく同じ発想から作られていることがよくわかります。それはどちらも現代文明のものの見方や価値観そのものです。それとは違った発想や生命観を、いまのこのときに話してみたくなったのは、コロナウイルスの出現がいまの文明のあり方の問題と無関係ではないと感じているからです。

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