寄生虫と細菌とウイルスのバランス

 

「ウイルスに戦って勝つ」と唱えながら我が身の周囲に消毒薬を散布する人たちの姿を見ていると、ウイルスよりも先に人間の免疫力が参ってしまうように思えてなりません。

そもそも、「悪いものをやっつける」という発想は、近代文明の始まったヨーロッパで、森の木を切って開けた土地を作り、自然を壊すことで発展してきた文明の基本です。そうやって自然界のバランスを壊した結果、その揺り返しで起きたのがコレラやペストといった感染症の流行だったはずです。

太古の昔から人体では寄生虫と細菌とウイルスがバランスをとっていたのに、近年の衛生観念の発達で、寄生虫は完全に駆逐され、細菌は数も多様性も貧弱なものとなりました。それと入れ替わりにアレルギーが増えたことでバランスの崩れが認識できますが、それはウイルスが暴れやすい環境だということは、近年インフルエンザの症状が重篤化していることでわかると思います。

消毒しすぎてバランスを狂わせたことが招いた災いなのに、それに対しても私たちの文明はまだ消毒という攻撃手段しか対策を持っていません。生態系のバランスや調和に関しては、作り出すどころか概念さえないんだと思います。

 

先の緊急事態宣言が出たとき、ラジオで誰かが「これからは国民が一丸となってウイルスに打ち勝つまで戦いましょう」というのを聞いて思い出したのは、第二次大戦中の日本人が「国民精神総動員」の旗の下に竹槍を持たされている姿です。

「いまの消毒薬はあのときの竹槍だ」と思いながら一億総玉砕を想像しているときに友人が教えてくれたのが、朝日新聞に出ていた福岡伸一さんの「ウイルスは撲滅できない」という記事でした。そこにはウイルスとは何か、人とのそもそもの関係などが分かりやすく書かれていたのですが、それを読んだ妻が「これ、すごいよ」としきりに感心していました。何がすごいのかを聞くと「だってこの人学者なのに、ウイルスをやっつける方法とか、こうすれば解決するとかの具体的な方法や対策とかを一切書いてない。それなのに私の中に考える力が出てくるのを感じる」と言うのです。こういう誘導ができることこそが先を見通す力だと思います。

これを読んだ人の大部分が「具体的な対策は何もないじゃないか」と言うと思うのですが、それこそが考える力を養うのだと思います。

 

いま、政治家や世の中の舵を切っている人たちが希求しているものは、事態を一掃してしまうような特攻薬、じゃなかった特効薬でしょう。そういうワクチンとかが開発されれば世の中の混乱を治めてもとの状態に戻して、いままでと同じことをまだ続けられる。それを勝利と呼んでいるのでしょう。

 

僕は自然農法と整体という仕事をやってきて、畑に虫が出れば「薬を撒かないと野菜がやられちまうよ」と言うのを聞き、風邪で高熱が出れば「薬で止めないと治らない」と言っている人の体を見てきました。

でも、これらがすべて経過して落ち着いた時の様子を見ていると、何かの手を打ったから落ち着いたのではなく、そんなこととは関係のない他の大部分との調和を取り戻したから落ち着いたのだとしか思えないのです。日本でまだコロナウイルスによる死者が少ないのは、国土の大部分が森林に覆われているからかもしれません。直接関係ないと思われることから知らず知らずのうちに受けている恩恵に気がつくのは難しいことです。

 

いま起きていることは、人類がその考え方を根底から見直すことを迫られているのかもしれません。そうだとしたら、疑わしいものを片っ端からやっつけるよりも、真剣に困る方が近道かもしれません。

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