ブログの始まり

これからしばらくブログのようなものを書いてみようと思います。
 
僕が今までブログを避けてきた理由は、うちがやっていることには世間の常識とは違っていることが多くて(例えば、風邪を引いたときの発熱を、冷やして下げるのではなく、温めて経過させてしまうなど)、そのため不特定多数の人が目にするインターネットで発信することで、意味がわからないのに形や方法だけを真似して、不用意に好ましくない結果をもたらす人が現れることは避けたいと思っていたからです。
そこで、伝えたいことは、講座を開いてお話ししたり、毎月「愉気便り」というお便りを書いてお送りして、整体の考え方や生命観に興味を持ってくれる人に直接お伝えするという方法をとってきました。
 
しかし、コロナウイルス拡大の影響で、いままでのような多人数でやる講座は当分できそうもありません。お便りの方も、諸々の事情があって受け取れない人が出てきました。うちの会員さんには、遠くてなかなか操法を受けには来れないけれどお便りだけをずっと読んでくれている「購読会員」とでもいうような人が少なくありません。そういう遠隔の人たちと最近は頻繁にメールのやり取りをしているのですが(みんな、不安なんですね)、日本よりもコロナウイルスの被害の大きいヨーロッパの人たちから現地の様子が聞けたり、国際郵便の止まってしまっているチェコの野中さんとでもすぐに連絡がついて、インターネットの利便性に浸っているうちに「今はブログをやる時期だな」と思うに至ったわけです。
 
それから、僕はこれまで自然農法での農業と野口整体という二つの職業に関わってきたのですが、この二つをまったく同じ考え(生命観)に基づいてやってきました。
それは、現代的な農法や近代医療とはずいぶん趣の違うものであり、僕の立ち位置からは現代的な農法と医療はまったく同じ発想から作られていることがよくわかります。それはどちらも現代文明のものの見方や価値観そのものです。それとは違った発想や生命観を、いまのこのときに話してみたくなったのは、コロナウイルスの出現がいまの文明のあり方の問題と無関係ではないと感じているからです。

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