便利さで失われるもの

夏の暑い日に、「なにか涼しくなる方法はないかな」と考えていると憶いだしてしまう話があります。

30年くらい前、僕はイタリア製のオフロードバイクを輸入する会社で働いていたのですが、世界選手権を追いかけてヨーロッパで過ごした夏がありました。大会前日に会場を下見に行ったときのことです。レース会場の入り口前には広大な駐車場がありました。車をどこに停めても良かったのだけれど、僕たち日本人は何の疑問も持たずに入り口に近いところに車を止めました。しかし、そのとき同行していたイタリア人はかなり離れたところに車を停めました。
僕たちは意味がわからず、口の悪い仲間は「イタ公のすることはわけがわかんねえな」と言いました。「イタ公」は親しみをもって使っていた言葉ですが、イタリア人の行動はわけがわからないと感じていたのは本音です。
会場は山のなかにありましたが、夏の日差しを遮るものは何もなく、コースを徒歩で見て回ると4時間くらいかかりました。その暑さにかなり疲労困ぱいして車まで戻ろうと歩いているときに、ちょっとした高台から駐車場全体を俯瞰する光景を目にして僕は息を呑みました。僕たちのレンタカーは炎天下で太陽に焼かれていましたが、あのイタリア人が車を停めた場所だけが遠くの山に太陽を遮られて日陰になっていたのです。それもかなりのピンポイントで。
僕が驚いていると、隣にいたイタリア人が「気がついた?」という感じでニヤッと笑いました。
彼もこの会場に来たのは初めてなのに、この現場を読む能力の差に愕然としました。そして歩く距離が短くて済むことだけにしか意味を見つけられなかったことを、幼稚で恥ずかしいことと感じました。
帰りの車中で「アイツ、すごかったな」と話すと、同乗していた日本人選手たちはレンタカーのエアコンの効きが甘いことにしか興味がないようでした。そして、「あいつの車にはエアコンがないんだよ」とか(本当になかった)、「だからあんな未開人みたいなことをいつまでもしているんだ」と言うのです。
天の動きを読む能力に優れていることより、エアコンの効いた車を所有している人間の方が高級だなんて日本人はいつから思うようになってしまったのだろうと思いました。
「これでは明日は勝てないな」と僕は思いました。実際、翌日の大会で優勝したのはあのイタリア人でした。天を味方にしているものに勝てるはずがないのです。


昔、南の国の島の酋長みたいな人で、世界中のどの場所に連れてこられても自分の島のある方向を正確に指さすことができた人がいたそうです。こういった能力は生活が文明化するとともになくなっていきました。GPS機能のあるスマホを持ち歩く現代人にはもはや無用のものです。

けれども、本当にその方向でいいのだろうかと思ってしまいます。
こうした疑問の答えがはっきりと出るのは困難や災害に出会ったときだと思いますが、さしあたってこれから毎年訪れるだろう夏の猛暑に対して、エアコンに頼りきっている人たちは乗り切れなくなっていくのではないだろうかと最近は真剣に感じているのです。