抗体を持つ鶏 その2

ワクチン接種を受けていないのに抗体を獲得していた鶏たちが送っていたのは、昔ながらの、鶏として当たり前の健全な生活です。望ましい環境の中で自由な行動ができていれば、ウイルスとの接触も自由です。対して、大規模養鶏場の閉鎖環境では、このような行動や接触の自由はありません。両者はスタートから根本的に違うので、ウイルスに対しても反応が違ってきます。
検査をした保健所の人は、両者の置かれた環境の違いを考慮に入れずにウイルスや抗体だけ見て「おかしいなあ」と言っていたようですが、コロナウイルスに関しても同じように、本人の生活の違いが発病するかしないかを分けていることは見落とされているように思います。

僕も抗体を持つことを目指して数年前まで鶏を飼っていました。
朝、小屋の扉を開けてあげると鶏たちは好きなところへ行ってしまいます。そして日が暮れる前に帰ってきたら小屋の扉を閉めるます。僕がやっていたことはこれだけですが、鶏たちの生活を眺めていると、砂を浴びたり、体の健全さを守るために実に様々な行動をしています。なかでも、背伸びするようにしながら大きく羽を広げて羽ばたく動作は重要に思います。これは猫が昼寝の後に両手を前に伸ばしてノビをするのと同じで呼吸器の弾力を取り戻す動作です。体の健全さを保つことを羽ばたく動作に頼っているのです。
鳥は体の構造上、羽ばたくことで大きく胸に呼吸が入ります。だから狭いところに押し込められて羽ばたくことができなくなったら鶏は病気になるしかないのです。これは人も同じで、パソコンの使いすぎで首が固まって肩甲骨が弾力を失っている人がインフルエンザに罹るであろうことは前もってわかります。
鶏は、狭いところに高密度で押し込められるとストレスが溜まって仲間をつついて殺してしまいます。でも、自由に行動できているとき、鶏はとても愛情深い生き物です。
ヒヨコが外敵に襲われたときに我が身を呈して守る母親。その群れ全体を見守るオス。土を掘って虫を見つけると鳴いてメスに教えてあげる若いオス。それぞれのエネルギーが利他的に働いて群れ全体がひとつの生き物のように振る舞うとき、底力のある健全さが生まれます。
環境のなかで、ひとつの群れとして機能する自由さがあるとき、ウイルスとの接触も自由です。健全な生活と行動の自由が抗体を作ります。

コロナウイルスの話をしていると「抗体を獲得すればもう安心なのでしょう?」という疑問によく出会います。僕はそう思いません。
健全な生活のなかで抗体を獲得した鶏でも、密閉された狭い空間へ押し込められたらやがて抗体を失うと思います。逆に殺菌薬と抗生物質が必要な劣悪な環境のなかで育った鶏でも、自然な環境の中に生活の場を移すことができたならやがては抗体を獲得していくことになると思います。
これが本当は鶏ではなくて人間の話なのだということは、なかなか言いづらいことでもあります。

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中毒に気がつく その2

僕がアルコールを吸い込んで中毒症状を起こしたことは先日書きました。
肩から首まで腫れ上がって左腕がまったく使えなくなったほどだったので、結構ひどかったのだと思います。自分自身でこういう経験をして初めてわかることもあります。
州子に中毒操法をしてもらうと胸が開いて一気に息が入り始めました。整体操法の凄さを改めて感じることができました。
起きた症状がコロナウイルスに感染した時のものと似ていたのですが、動揺して不安になって呼吸器の働かない状態で部屋に閉じこもってしていたら本当に感染してしまうかもしれません。でも、中毒だとわかったので、薪を運んで草刈りをしてといった庭仕事をして汗をかいているうちに抜けて行きました。

僕たちは身体の観察をして肝臓が腫れていれば「中毒だな」ということがわかりますが、誰でも自分で自分の異常が中毒を起こしているとはわかりづらいものです。そして、もとより自分で「これをすれば中毒を起こす」とわかってやっている人もいないと思います。気付くのはいつも起きてしまってからです。

モモコが顔を腫らしてやってきた時、「どうしてこんなことになったかがわからない」と言っていました。でも、起きていることは中毒症状だったので、「近くで農薬撒いたりしてなかった?」と聞くと、「そういえば、蟻が家の中にたくさん入ってきたことを話したら、大家さんが殺虫剤を撒いてくれたみたいで、その臭いがずっと気になっていました。私は世間話で話しただけだったのに」

この大家さんは親切心でやってくれたようですが、「虫にはこの薬が効きますよ」ということは知っていても、居住空間に殺虫剤を撒くと住んでいる人がどうなるのかまでは想像できなかったようです。これはよくある話です。

昨日は「庭に除草剤を撒かれたくない」という電話がありました。
嫌なら撒かなければいいだけの話ではないかと思ったのですが、頼もうとしている植木屋さんに「熊笹の根はすごいから除草剤を使わないと退治できない」と言われたというのです。
でも、これだけ本人が除草剤を嫌だと思っていて(だからうちに電話してきたのでしょうから)、それで撒かれてしまったらこの先ずっと胸の中に嫌な感じが続くでしょう。このコロナ禍の時期にそんな思いをすることは避けたいものです。それに、熊笹だろうがなんだろうが地上部を刈り取ることを地道に続けていればいずれなくなるものです。まあ、それはここでは関係ないことですが。

殺虫剤や除草剤といった毒を撒く行為を消毒と呼ぶとき、その人の念頭にあるのは邪魔者を排除するということだけです。その他の、いなくなったら困ってしまう常在菌を殺していることや、人の免疫力にどう影響しているかは想像外のはずです。
毎年初夏にはこういうことで中毒を起こしている人の話が後をたたないのですが、今年はコロナの影響で除草剤や殺虫剤の使用量が増えていないかと気になります。最近、畑で噴霧器を背負っている人がよく目に付くのですが、これは僕の方が過敏になっているのでしょうか?

抗体を持つ鶏

今回もコロナの話です。

鳥インフルエンザというものがあります。
養鶏場でこれが発生すると何万羽という数が殺処分されて話題になりますが、20年くらい前に印象的な出来事がありました。
僕の知り合いのある養鶏家は300羽くらいの鶏を飼って暮らしていました。「それ以上の数になるともう目が行き届かないから」というのが理由です。数万羽を管理するのが当たり前の他の養鶏家には、「300羽で採算が取れるのか?どうやって生計を立てているんだ?」ということが謎でしょう。実はこの問いに対する答えを見つけることこそが重要なのですが、まずはウイルスの話です。

ある年、鳥インフルエンザが県内で発生して保健所の人がその養鶏家のところにもやってきました。鳥インフルエンザがどこかで発生するとかなり広い範囲の鶏を殺処分して感染拡大を防ぐのです。
その養鶏家の鶏たちはワクチンの接種をしたことがありませんでした。
保健所の人は、「こういう無知な人が感染を広げるんだよな」と思っていました。そして、「ここの鶏はもう感染しているのだろうな」と思いながら検査して驚きました。そこの鶏たちはみんなすでに抗体を持っていたからです。
「こんなことはありえない。ワクチンの接種をしていない鶏がなんで抗体を持っているんだ」
と納得のいかない保健所の人に、その養鶏家は不思議そうに、
「だってうちの鶏はオープンな環境で飼っているから、好きなときに好きなところに行けて、あらゆるものと接しているんです。よそからはいろんな鳥が飛んでくるし、だからいろんなウイルスに接触しているはずです。それでこんなに元気なのだから抗体くらいあるはずです。もちろん弱いものが途中で死んでしまうことは避けられませんが」と言いました。
それでも、「こんなケースはいままで見たことがない」と、保健所の人は納得がいかなかったようです。僕にはこのことのほうが驚きです。それは医者が「薬を使わないで風邪が治ったなんて見たことがない」と言っているのと同じことだからです。
それは、昔は当たり前だった鶏の飼い方そのものがなくなってしまっているということのようです。

その養鶏家は、下草を刈ったり木を植えたり、考えつくあらゆることをして環境を整えていました。そして、その毎日の労働の元になっている考え方とは、悪いものを排除するよりも、あらゆるものが出入り自由で多くの菌を受け入れることでした。それらがバランスをとり、自分が気持ちいいと感じるよう手入れを怠らなければ、風通しのいい、気の通りのいい状態ができるはずで、その状態であれば特定のウイルスが暴れだすことは起こらないというものでした。

巨大な倉庫のような風通しの悪い密閉された鶏舎内で数万羽の鶏を飼うやり方は、病気にならない方が不自然だとその養鶏家は言います。大量に出る鶏糞には細菌がつきますから大量の消毒薬が撒かれます。そうすれば、鶏の免疫を守ってくれる菌はなにもいなくなってしまいます。それで、鶏が病気にならないように抗生物質が投与されますが、細菌がなにもいない状態こそが凶暴なウイルスが暴れるにふさわしい空間です。数十回にわたってワクチンが接種されますが、ウイルスは変異するものです。

その養鶏家が寂しそうに語ってくれた言葉を僕はよく思い出します。
「鶏が病気になりやすい状態を人が作ったからワクチンや抗生物質が必要になったんです。経済性や合理性ばかりを求めるからそういうことになるんです。でも彼らが求めているのは養鶏ではなくてビジネスですから、彼らに私のやっていることを話しても鼻で笑われてしまいます。『それじゃ儲からないよな』って」「保健所の人も、私が消毒や投薬をしてないと言うと、『じゃあ、何も対策してないんですね』って言うんですよ。本当の解決は、そういう対策がなにも必要なくなるような生き方をすることだと思うんですけどね」

繰り返しますが、これはコロナの話です。

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中毒に気がつく

中等講座のメンバーにはなぜか医療現場で働いているひとが多いのですが、コロナ禍で、その彼女たちが職場で自身への過剰なアルコール消毒を強いられているという話を聞きました。
「もう、アルコールには触りたくない」と感じるほどまいっているらしいのですが、そんな彼女たちの訴えを「そんなことは自分でなんとかしなさい」とばかりに冷たくあしらったのはつい最近のことでした。これが初心者だったら「そういうときはね」と言って中毒とはなんなのかを説明してあげたと思うのですが、中等講座の人たちですから「中毒操法を使わないで済むようになることが中毒を理解することだ」とか言ったと思うのです。でも、そんな偉そうなことはしばらく言えそうもありません。僕自身が身を持ってアルコールの害を知ったのはまだ昨日のことです。
そういえば、超音波のアロマデュフューザーにアルコールを混ぜて空気中に拡散している職場もあると聞きました。これは、僕がやってしまったことと同じですね。これを報告してくれた女性は呼吸が苦しいことを訴えたそうですが、職場のオーナーは意味がわからなかったようです。

言うまでもないことですが、すべての薬が、その使い方と量によって毒にも薬にもなります。
生活空間や環境のいたるところに殺菌剤が使われていますが、毒を撒くことを消毒と呼んでいることが落とし穴です。
欧米の公共の場で大規模に消毒薬を散布している映像を見ると、ウイルスを抑制してくれていたはずの細菌なんかも皆殺しですね。アルコール消毒はコロナウイルスだけを殺すのではないということです。無菌状態の環境では免疫力は著しく低下します。免疫力というのは外敵を攻撃する力ではなくて、自分自身を取り巻いている環境の中での細菌やウイルスなどすべてのバランスのことだと僕は思います。

毎年、初夏は体に変動が起こる時期ですが、今年は消毒のしすぎで体調不良を起こす人が増えるのかもしれません。

 

 

アルコール消毒薬中毒

昨日の話です。
その前の日はなんとなく体がだるくて疲れやすい感じがしただけでしたが、昨日は起床したときから焼けるような喉の痛みと頭痛がありました。頭がボーッとして熱く、鼻の粘膜は乾ききっているし、何より胸にまったく息が入りません。予期せずに突然やってきた今までに経験したことのない症状でした。さすがに、「これはまずいかも」と思いました。


朝食時に向かい合って座っていると州子が、「どこか具合でも悪いの?」と聞いてきたので、
「やっぱりわかるんだな」と思って正直に症状を話しました。そして「コロナ感染だと思う?」と聞いてみました。こういうときの州子のものを観る力を僕は結構信用しているからです。
州子はジッと僕を見てから笑って「また何か悪いことしてたでしょ」と言いました。
これはなかなか心外な言葉でした。連休に入ってから外出も控えて心静かに過ごしているというのになんということを言うのでしょう。朝食を終えた僕は半ば呆れて道場に向かいました。このところ午前中の日課となっているのは静かに音楽を聴きながら思索を巡らしメールの返信や原稿を書くということです。これのどこがいけないんだ、まったく。
世の中が苦しいときにはクライスラーのバイオリンが聴きたくなるとどこかで書きましたが、最近はもっと悲痛なビリー・ホリディの歌唱がいつもより心に沁みます。そんな今の気分を理解するのに手助けとなってくれるものを探していると、聴きたいものがいつもとは違っていて、押入れから古いレコードを引っ張り出して聴いています。なかには数十年ぶりに聴くようなものがあって、それらのレコードのカビを落とすところから始めるのが日課になっています。それで今日もその作業から始めたのですが、そのとき吐き気と頭痛がして気がつきました。体調不良の原因はレコード洗浄に使ったアルコールでした。なんの疑いも持たずにイソプロピルアルコールを希釈してレコード盤に塗り、超音波で振動する洗顔ブラシで汚れを落としていたのですが、揮発させてずいぶん吸い込んでしまっていたようです。それで調べてみたらイソプロピルアルコールの毒性はエタノールの2倍だそうです。飲んでしまった場合の致死量も明示されていましたが、僕はその数倍の量を使って100枚以上のレコードを磨いたところでした。中毒症状特有の舌がピリピリする感じや唾液が金属の味がするような感じが確かにあります。そして空気中の毒素を呼吸に吸いこんだ時に起こる鎖骨の詰まった感じもあります。僕はもともと鎖骨を打撲で壊しているのですが、鎖骨の裏からべったりとした脂が出てきました。
これはもうはっきりとアルコールを吸い込んで起こした中毒だと納得しました。

州子に、「触りもしないでなんでわかったの?」と聞くと、「昔、あなたが夜中に写真の現像をするたびに中毒を起こしていたでしょ。苦しんで寝られないあなたに私が明け方に中毒操法をしたことが何回あったと思うの?あの時と雰囲気が同じだったのよ」と言われました。
やっぱり、よく見ているんですね。